2010年12月22日

思いやりの心のある人




私の実家は、田舎だが、特急が止まる。



まわりにコンビニもないし、駅前の商店街は寂れているし、何もないけど、特急が止まるよ、と言える。


というわけで、人は住んでいるが商業施設はさっぱりない。
しかし、交通の便はさほど悪くない。


そんなとこだ。




秋口になると、少し車を走らせて、農家の知り合いの家まで梨を買いに行く。
おじいちゃんが生きていた頃からずっとその農家で買っているらしい。
私もこれを継ぐのかと、思うが、私が最近の人間だからなのか、私という特質ゆえなのか、親の代からの人間関係は引き継げない気がする。



農家の知り合い家までの道途中。
知的障害のある子供達の施設があった。

きれいなレンガ造りの門戸がおしゃれだ。


その隣はゴミ焼却施設だった。


あまり何も感じない私も流石に良くないのではと感じた。

母もそれに気付いたのか、まるで市民にとって嫌なものはまとめて目立たないところにペイ!ってしているみたいだ、と言った。


その通りなのでは、と思いながら、私が民意を代表するのもおかしいのでふんふんとうなづいた。



もしね、お母さんの子供が障害を持っていてこういった施設に通っていて、隣がゴミ焼却施設だなんてことだったら、お母さんは市に怒鳴り込みに言っていたよ、と母は言った。



優しいというのは、特定の誰かに優しいことで、裏を返せば、特定の誰か以外にはどこまでも残虐になれることだと、私はエデンという漫画の台詞を思い出した。



昨日読んだナルトにも、愛情を知ることは憎しみのリスクを背負うことに等しいとあった。






母親は、自分の子供は守るが、現状ゴミ焼却施設の隣に通っている立場の弱い子供を守るわけではないのだ。


母親は決して善人ではない。



私はそこにがっかりした。




しかし、母が実の子を慈しむように、障害を持つ子供の境遇を守るべく立ち上がり、市に申し立てをするような勇ましい人格者だったら、実の子として、特別扱いをされていないということに私はがっかりするに違いない。



じゃあ、どうすりゃ満足なのかと聞かれると、困ってしまう。



これに関して是か非かと言われると、答えに窮してしまう。




仕方のないことだと、思う。
posted by nainai at 14:14| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ないない論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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