2011年11月11日

何故、犬はいなくなったのか




初めてペットショップで犬を買った。
名前は私が付けた。



みみっちぃから、ミミというのは、取り立てていうほどのことでもないが、詭弁だった。
おばあちゃんがまだ名前も付けていない犬を叱るのにみぃちゃん!みぃちゃんとうっかり前の犬の名前を呼ぶのがおかしくて、でもそのままみぃちゃんみぃちゃんと騒ぎ立てていて欲しくて、ミミちゃんにした。
したら、みぃちゃんと呼ぶことに矛盾がないでしょうに。



昨日はミミちゃんの身体をシャンプーしてそのあとブラッシングした。
シャンプーはウォーターレスシャンプーなので、ゴワゴワ泡だててそのままクシを通して綺麗にしていくだけ。
簡単だ。



おばあちゃんはそんな私を見て、ないないちゃんは動物を大事にするねと言った。
ついで、こう言った。
ミミちゃんの前に飼っていた犬はどうしていなくなったんやったやろかと。





どうして、て…。
いなくなった理由がわからないの?


おばあちゃん、私が聞き間違えたのかしら?
しかし、私は答えることも、聞き返すことも出来ない。
前に飼っていた犬がいなくなったのはしんだからだよとも、おばあちゃんはどうしてミルクやチロがいなくなったのか忘れちゃったのとも言えない。
だって、言えない。


今なんて言ったのと言ったあとに、もし聞き間違いでなかったときの応答についてまだ決めていないから、私は動けない。


私は身体が真っ二つになったようだった。
分かれて、手前に転がり込んだわたしはその勢いのまま祖母に詰め寄っていきそうだった。
もう一つの片割れの私は後退り、壁にぶつかってへなへなになっていたのだろう。
私は口をパクパクしながら、あ、おばあちゃん結構呆けつつあるわ、これは覚悟せんなあかんでな、と思った。




一度作ったミルクプリンをおいしいと誉めそやしたら、毎日ミルクプリンを作り続けた祖母は思えば、私が小学生の頃のことだから、65歳くらいだったんだろう。
梅ジュースやカスピ海ヨーグルトなどにも果敢にチャレンジしてきた祖母がこれといって何もしなくなった。
千切り絵も、広告チラシで作るカゴも、五円玉を繋げて作る亀も、タオル製の縫いぐるみも、浴衣も、甚平も作らなくなった。




人を憎んだり疎んだり、愛したり慈しんだり、それ以上に悪いことを知っているかい?と、教訓を垂れたい頭でっかちな人はよく言う。
無関心になることさ、と。



兎にも角にも祖母はあらゆることに無関心になりつつあった。
記憶の糸を手繰ることすら億劫らしかった。





80年も生きれば活力も抜け無気力にもなるだろう。
痴呆にもなるだろう。



おばあちゃんが呆けたり衰えていくのは偲びないが仕方のないことだ。
でも、それにたいしてどう立ち合っていくか、寄り添っていくかそれを考え直してた。





人を愛しても裏切っても、忘れてしまうことの方が悪意のある裏切りや軽率な行為よりも酷いことのように感じられた。





posted by nainai at 23:37| 奈良 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | おばあちゃん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
最後の一文にひどく心が動揺してしまいました。。

病とかでなく 忘れてはいけない事も時に人は忘れたりします。
自分もそうです。
忘れようと 逃げたり 記憶を改ざんしたりします。
胸を張って生きる事は本当に難しいっス。
Posted by マンガ家 at 2011年11月12日 22:45
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