2013年02月11日

今日の感想と今後の展望と、あと今できること。


 
 
 
 こんにちは。
 いかがお過ごしでしょうか??



 私のタッチタイピングの速さの秘訣はなんだろう。
 ふと考えたが、学生時代に必死に頭を捻っては考えた小説のあらすじ書きと、そう今のブログだ。

 
  
 それが功を奏してなのかどうなのか、ちょっとした設定を決めてもらえばすらすらとその続きのあらすじを思いつく発想力と、さらにどうでもいいくらいつらつらと思ってもいないことを延々としゃべり続けることができる。



 それでどうしたというのだろうか?
 いつか延々と、そして朗々と虚偽の申告をしないといけない日が訪れたとして、その日に私は大いに活用されうるだろう。
 だけど、それは今日まで来なかったのだから。
 29年こないのならば、明日以降その予定に添って動き必要もないし、私の唯一の技能も必要ないわけだ。



 大阪市に1月末に引っ越してきた。
 居心地は良いが、夜になるとしぃーんとしてしまってなんだかとっても怖い。
 どうも寝付けない。
 とりあえずほこりっぽいのがいただけないが実家に帰ってみた。
 なかなか寝付けないのは変わらないが、寝だすと結構ぐっすりと眠れた。


 実家で昼ごはんを食べたあとに、私はしぶしぶ大阪の自室へ戻ってきた。
 そしてさらにしぶしぶ炊飯器を買いに行った。
 炊飯器はパンが焼けるのがいいと思った。
 前の彼氏が買ってくれたのがそうだったから。
 パンの焼ける炊飯器はたくさんあるのだろうと思ったが、そうでもなかった。
 
 
 あぁ、探してくれたのかと少し驚いた。
 それがうまく言葉にはできなかったけど、もう終わった人なのだとこれ以上考えることも出来なかった。



 さて、炊飯器を部屋まで持って買えるのは骨折れだった。
 なかなかに重いのだ。
 荷物持ちになろうかと言ってくれる人もいたが、病み上がりの人に来てもらうのは悪いなと思った。
 いや、病み上がりなんて嘘かもしれない。
 
 ダイソーで買った日用品と炊飯器、さらにTSUTAYAで会社の先輩がオススメする海外モノのドラマを借りて帰路についた。
 もうクタクタだった。
 
 
 それでも、空腹の虫が騒ぐので、私はさらに策を講じた。
 途中のコンビニでカレーうどんを買って、帰宅。
 荷物を置いて、レンジを500W5分に設定してから、こめかみが千切れそうなくらいに我慢していた膀胱を開放すべくトイレに駆け込む。
 それから、電子レンジの終了の合図を待つ間、お湯を沸かせてお茶の準備をする。
 パソコンをたちあげて、DVDをぶち込む。
 エヴァ破、だ。
 カレーうどんも登場して、私は物々しく座り込んだ。
 音が聞こえない、何故だろう。
 
 オーディオが別接続なんだった。
 オーディオの電源をつけると、けたたましく爆音が飛び込んできた。
 今回のエヴァも非常に楽しそうだと思った。

 エヴァのストーリー展開は、なんというのだろう。
 誰だって人はみんな幸せになりたい、そう生きたいんだと、声を枯らして息を弾ませて涙を滲ませて、そんな当たり前の虚構にぶち当たる爽快感。
 どこまでも、いい!と思えるご褒美のような酩酊感を以って落ちてくる絶望。


 私たちはどうなのか知らないが、少なくとも私は、幸せになりたい人はいないと思っている。
 とにかくそう、常に強い衝動を求めているのだと思う。
 自分を覆い隠すような、いや、自分を押しつぶすようなもの。
 それは光でもいいし、暗闇でもいい。
 きれいな水でも、汚れた泥水でも、どろどろの血液だってなんだっていいんだと思う。
 生きたいと渇望することも、死にたいと絶望することもベクトルが違うだけで同じだけの質量の酩酊感がある。
 強く強く誰かを信じて身を託したくなるような時もあれば、深く深く誰かに裏切られて見を引き裂かれたくなる時もあるんだ。
 多分、作品の主張ではないし、そういうのを感じ取って欲しくて作ってるわけじゃないんだけど・・・っと制作サイドから困惑顔で言われてしまうそうだけど。

 血で血を雪ぐ残虐な展開と、人間の物悲しさや言葉足らずな正義感を描き続けるこの作品を見て、伏線を読み込んでは期待を膨らませて展開に裏切られるほどに、強く思う。
 
 現実での浮き沈みでは得られない幻想的な感情のゆらぎこそ楽しいのだと、これが娯楽なのだと思う。
 
 それは現実世界がつまらないとかじゃなくて。
 ちょっとつまらないのはあるかもしれない。


 感動したり、恐怖におののいたり、私の心はいろんな色に染まりたいけど、それを現実に行うとリスクが高いから、だから、感動的な映画があってホラーもののゲームがあってチープに恋愛展開が進むラブコメがあって、いろんな娯楽があるんだと思う。


 そんな娯楽の中でも、私の感情を最高に上手にかき乱すという意味でエヴァは破格の娯楽品だ。
 そう、現実世界で実践するにはリスクがあるから、娯楽品に身を投じているのも関わらず、「いきがいだ」と呟いてしまいそうなくらいに恍惚とした味わいなのだ。

 

 と考えていたら、映画が一本終わってしまった。
  


 ところで、平凡な女らしい私らしい日常の願いなのだが。
 
 現実世界では常に私は人より優遇されたいと思っている。
 それは幸せになりたいとは決定的な違いがある。
 厚かましさの度合いが、桁外れに違うと思う。
 それをいいように取り繕って、こういうことにしてる幸せになりたい!と。
 
 
 幸せになりたいということは、なんにせよ他者によってもたらされるものである。
 さて、つまり他者が与えてくれるものである。
 それは自己評価としての「幸福」ではなく、客観的評価としての「幸福」なのである。
 客観的評価は相対的評価である。
 主観的評価は絶対的評価である。
 相対的評価は揺らぐ、絶対的評価は揺らがない。
 
 誰かが、私を幸せにしてくれるということは、誰かがまた別の誰かに比べてみると、相対的に私という存在は不幸から距離を置いていて安全圏にいるらしいということを、言う。
 つまり不幸の上にしか、幸福は生成されず、幸福の分だけ不幸は絶えず生成されるのだ。


 そうではない幸福は、自らが自らの絶対的評価のもとに、幾分心もとなくは感じるが、「なんの根拠もなく」幸せだと感じないといけない。
 自分で自分を幸せだと思い込むことでしか、人は幸せになることはできないのである。



 そんなことをつらつら考えていると、本当にダメな人間だなと思う。


 もっと役に立つ知識や常識を身につけよう。
 新聞でも購読しようかな。
 料理を勉強しよう。
 プログラミングとサーバ知識をもっと増やそう。
 英語も勉強したいし、人から勧められた映画やアニメ作品を常に見て人とも仲良くしたい。
 


 そんな感じで、よしがんばるぞって思えたから今日はいい日だと思った。
posted by nainai at 23:51| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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