2016年07月23日

昨日がもう一回来ますようにって

carpentersのYesterday Once Moreの歌詞を初めて読んでみた


きっかけがクレヨンしんちゃんの劇場版オトナ帝国の逆襲だった。
アニメ映画だ。

もうひとつ、ゆらゆら帝国が「イエスタデイ ワンスモア」ってそのままじゃんなタイトルで好き勝手な歌詞でカバーしている。

本家は本家の持ち味があって、メロディに乗せて切ないような懐かしさを歌い上げている気がするけど、ゆらゆら帝国がうたうと戻りたいなんて思っている過去だってそれを眺めている現在だって、嘘みたいだし、本当のことなんてどこにもないような侘しさがどよーんとある感じ。


この世界がもし嘘でも騙されたいわ、だっていうくらいだから。


芸術家とか、いう人がいるなら。
身なりが良く、教養があって、それなりに人生の酸い甘いを経験してきたオトナなのに、絵を描いてもらうと3歳児のような絵を自信たっぷりに描いてみたり、歌を歌ってもらうと中学生みたいな甘酸っぱい歌詞の歌をシャウトまじりに歌い上げるような人が、芸術家なんじゃないだろうか。


上品な人が、完成されたような人格に見えない人が持つ幼児性というつもりではない。
すごくいびつなものを抱えたまま、大人になった人で、そのいびつなものを作品としてアウトプットできている人だと思う。


もし例えば、こどもの頃に母親に甘えていた故についた悪態があって、その贖罪の言葉を今も抱えている人がいるとして。
それがその人の心臓を貫きながら、同時にそのガラスのように鋭利な根から吸い上げた栄養分できれいな花が咲いていたとしたら、それが芸術であり、その花を咲かすためだけにしか意味をなさない贖罪の言葉で心臓をえぐり続ける人が芸術家なのだと思う。


だから、視点を変えると、その人はただ傷ついているだけ。
視点を変えると、誰もその人が傷ついていることはわからず、そこに一輪のきれいな花があるだけ。

そのきれいな花が咲くに至るまでのエピソードがあってもなくても、花がきれいで、それをアウトプットするに尽力した人が芸術家なのだ。



だから、大人なのにどこかスレていない、何度となく傷ついている人はそれでも何かひとつ残すことができれば、人生に意味はあったと思ってもいいんだと思う。


悪いものじゃなくて、人が喜ぶものを何か残せればいいんだと思う。
posted by nainai at 15:47| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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