2014年01月15日

正論はふたこと以上語るべからず




正論は一言でいいと思う。


自分が正しいと思うことは一言相手に伝えて伝われば、それ以上言及する必要はないと思う。


と思い至ったのは、今の会社に入ってからだった。



多分、それは正しいことなんだろうけど、あまりにも言い方がキツくて、注意しているところを聞いているこっちがかなしくなるような物言いをする人がいる。


だいたいどこでも人間関係のトラブルを招いてでも僕は間違っていない、と言いながら不貞腐れて反省はあまりしないようだ。



年末にも、社内の男の子の態度に文句をつけて揉めていた。
前にも新卒の男の子に社会人の心得のようなものを説いて、その言い方がキツくて、他の社員さんから物言いを改めるようにして欲しいとクレームがついた。


何故なんだろうか。
なんだか、悲しくなってくるな。
心底心を入れ替えて、正論という装備を伴って言葉の暴力をやめてもらいたいと思うが、32歳のいわゆるおじさんなのである。



無理なのだろうなと思うと、周りが変わるしかないのだと気付かされる。
posted by nainai at 00:45| 奈良 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | ないない論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月13日

女性専用車両から始まる妄想談




女性専用車両って、すごいよな。



今更だけど、電車で女だらけの車両に入ると女性専用車両とその時に気付く。
私にはそれくらい関係のないものだ。
混雑時など痴漢被害が起こりやすい時間帯に女性専用車両として運用しているわけで、割に乗客が少なく座席に座りやすいのは、私個人にはメリットがある。


しかしこのような囲いを作ってまで女性を男性から守らなければならないほど、痴漢は多かったんだろうか。
自分は被害に会ったことがないので、ピンと来ないのよね。
でももし一度でも痴漢被害にあった人であれば、この対策はシンプルで、わかりやすい。
男性側も痴漢冤罪対策に両手を上げて吊革にしがみつかなくてもいいのだから、被害者女性も痴漢冤罪被害男性も両者ともに胸を撫で下ろしただろう。



女性専用車両なんてもんを、鉄道各社が作ってまで痴漢対策に乗り出したのは何故だろうか。
必要な地域もあっただろうが、不要なところもあったのではとも思う。
結果として物理的に異性と断絶する形で対応したというのは、痴漢被害が多かったというより、被害者立場を利用した女性の優位性と男尊女卑だとか再犯対策を講じていない、能無しとなじられることへの各会社からの怯えのようなものを感じてしまう。



私が以前勤めていた家電量販店でも、一部のコーナーを囲って、女性専用コーナーを作ろうという案が出ていたらしい。

お客様は女性専用、販売員も女性だけ!という空間。
誰が得をするのか?意味不明過ぎて、立案後、実施に移されることはなかったが。



しかし、男尊女卑を正すべく戦い続ける我々女子たちはこれからも社会的男女格差を埋めるべく、あらゆる女性専用云々を築き続けるだろう。
歴史上、力を手にしたものは自らの力を誇示するように、大きな建造物やモニュメントバレーや、場合によっては新しい制度や都合のいい歴史解釈などを作った。

我々戦う女子たちも自らの弱さを誇示するために、過去の権力者たちとは真逆で、権力を有しない脆弱な立場を誇張し、余りにもか弱く庇護が必要だとアピールし、それによって一層の庇護を得るために、あらゆる象徴物を作るだろう。


そうして、色んな女性専用云々や女性優遇制度などに囲まれて、これほどの対策を講じても女性は今だ下位にあり、弱者であり、これ以上の対策を講じる必要があることを説くだろう。



私たちは男性よりも弱く、さらに社会的に守られるべきだという主張は覆らないだろう。



しかしこの遣り口はいいなと思った人がいたら、さらに男女とは違う枠組みを作り、優遇措置を築くために動き出すかもしれない。




弱者である女性よりもさらに弱者であり、よりいっそう加護が必要な一部男性が現れるかもしれない。
社会的優位な男性とその優位な立場の犠牲になった女性と、そのさらに下の層が生まれるかもしれない。
就職支援や生活保護対策が講じられるだろう。
しかし、彼らは自らの立場が未だ危うくて更なる対策が必要であると主張し続けるだろう。





被害者ヅラして被る恩恵のおいしいことったら、ねぇ?
と、思うのです。

もうすでにそんな輩だらけじゃないかと、読者の皆さんはお思いでしょうね。



posted by nainai at 18:37| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ないない論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月08日

アニメも見始めました!


 
 
 
 こんにちは。
 いかがお過ごしでしょうか??

 私は最近アニメも見始めました。
 仕事を辞めて2ヶ月目です。
 しかし3月から有給休暇のため自宅待機をしていましたので、実際にはのんびり生活は3ヶ月目に突入したところです。


 このままのんびり過ごす生活は魅力的ですが、退屈さと長期的な視点に立って考えたときの将来的不安はぬぐいきれません。


 私には今、土日の余暇をともに過ごす友人が必要です。
 また、目指す行動を実現するための資金が必要です。
 そう考えると、就業への意欲がようやく沸いてきました。



 最近、アニメを見ています。
 まずはモノノ怪、そして甲殻機動隊。
 どっちも黒猫さん(黒豹か、黒狸か)のお勧め作品ですね。
 私には難しい作品の背景などはわかりませんが、二つの作品に共通して感じたことがあります。


 そう、シンプルですが、『もっと早く見ておけばよかった』です。
 人は感動できる作品に出会ったとき、涙したり打ち震えたり、その作品との会合それ自体を有難く感じたりしますよね。
 私もそうです。
 見るチャンスはいくらでもあったのに、長編アニメの視聴時間の長さ=拘束時間の長さを、まるで他の有意義な時間を搾取されるような不安感に呑まれて避けていました。


 でも見れば分かります。
 こんなに面白い話を見ないなんて、おかしな話ありえないですよ。


 別に上記の二作が日本至上の作品とは思いません。稀に見る良作かというと、そうでもないです。
 良作は良作ですが、いい作品はたくさんありますから。
 しかし、私はこんなのが腹の底から大好きなのに、何を避けていたんだろうと、そんな感じです。



 
 甲殻機動隊の笑い男事件に関しては、ストーリーの中核をなしている非常に面白い内容ではあるのですが、残念ながら、作品の土台というか設定上避けては通れないものでもあると思います。

 人々の脳を電脳化し、直接インターネット接続が可能になって視覚記憶などを録画するように記憶できる世界であれば、その設定自体に噛み付く対峙的存在は作らざるを得ない。

 設定が強固に作りこまれているからこそ、コンセプトがきちきちに詰まっているからこそ、ストーリーの起承転結自体は普通の作りなんだなという印象でした。

 まぁその存在が本当に奇跡同然にしか存在し得ないという、強固な電脳セキュリティがあるという設定込みで、笑い男はかっこいいんだろうな。


 次は何を見ようか、迷っています。
 実はまだ甲殻機動隊は2期途中。
 これを見終わったら頭空っぽ確実なんですよ。
 あうあう。

 これを読んで、可哀相に思った人はお勧めをコメント欄に書き残していってください。
posted by nainai at 14:29| 奈良 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | ないない論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月21日

例えば荷物をたくさん抱えて





例えば、荷物をたくさん抱えて旅行に行くとして、食べてみたい料理を出すご飯屋さんや景色がきれいな名称やらが、なんらかの都合で行けなくて、旅行に行っても実は旅館に缶詰になるのがわかっていても行くだろうか。



いつも家で過ごしているのに、出かけるとき、何の目的もなくふらっと出かけて、もしもそのまま家に戻ることがけしてないと内心で分かっていてもふらっとつま先に靴を引っ掛けるようにして履いて扉を開けられるだろうか。




リスクに気付きながら人が前に進む原動力は何だと思う?




ダイビングやクライミングをしているときに胸が締め付けられるほど、思い知ることがあって、この遊びは些細なミスであっけなく死ねる系統のもので責任転嫁は決して出来ないということだ。
この指をどうにか壁に貼り付けて人工岩をホールドしているが小指が滑ればとんでもない落ち方をしてしまうぞという緊張感。
海の中で他のダイバーさんにぶつかったりぶつかられたりしたときにもしはずみでレギュレーターが外れてパニクって対処出来なかったらという圧迫感。



死んだらどうしようという不安やストレスが明日も仕事か、また今週も先週のおさらいか、先週は先々週のおさらいだったという意識から、気持ちをそらしてくれる。
これらの遊びは私を限りなくドキドキさせてくれるという点で、なかなかいい息抜きになっていると思う。





何もないと知っていて旅行に行くとすれば、ただ出掛けるという行為そのものが楽しいからという理由でないと納得いかへん。



だから、出掛けた先で見るべきものもなければお出かけ自体を楽しめる性格でないのであれば思い切って出掛けるというのは良くないと思う。
posted by nainai at 03:07| 奈良 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ないない論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月21日

いじめいくない




いじめられていた女の子とそれを救った女の子の話を読んだ。


http://mamesoku.com/lite/archives/2986941.html


私はいじめられたことがない。
しかし、職場では圧迫感たっぷりに追い詰められて、質問も報告も、何かを発することも苦痛だったことはある。
私の要領の悪さゆえだろう。



彼氏には怒られるのだが、にちゃんねるのまとめコピペを読むのがやめられない。

素直に読み応えがあるからだ。




今、テレビより漫画より映画より、そして自分自身の日常生活よりも、読み応えがあるのだ。

自分自身の日常生活がつまらないのかもしれない。


それにしても、この記事は構成を少し工夫すれば映画化してもいいくらい、いやして欲しい内容だった。





posted by nainai at 09:50| 奈良 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | ないない論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月06日

最近の関心ごと

人権侵害救済法が可決されたら、大変だという内容で、ネット上では大騒ぎになっているらしい。


私には人権侵害を受けている人を守る法案のどこにいかがわしさがあるのか、さっぱりわからない。



周りの人に聞き回っても、人権侵害なんちゃら法案?って、うーん知らんわーと言われるばかり。



携帯電話販売スタッフは審議中の法案には関心が向かないらしい。



インターネットの検索をすると、過激な批判論ばかりが展開されており、それを鵜呑みにするのも喉につっかえる感じがする。



人権というのは、人の権利であって、さらに形のあるものではないので定義が難しいと思う。


日本で差別や人権侵害によってあえぐ人達を救う手だてと言われてもピンと来ない。





しかし、なんだか、このリズム感は男女雇用機会均等法の法案が通ったあとに日本がどうなったかを考えさせられる。
この法案が通ったあとに不当な扱いで雇用の機会が著しく少なかった一部の人達も雇用にありつきやすくなるだろう。
それは雇用される人の枠が軒並み広がることにつながり、今でさえ雇用の機会が狭くなっているのに一層に一人一人のチャンスが少なくなることを意味する。



私はこの法案でどうなるかは分からないが、多分また一層に就職氷河期が続いてしまうんだろうなと思う。



他にも色々あるんだろうけど。



誰か知り合いでこれについて語れる人はいないかなぁ、教えを乞いたいなと思う。
posted by nainai at 01:41| 奈良 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | ないない論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月11日

夢市にいこう




ガラクタばかりが売り買いされるなかで、綺麗な夢が埋れていて、びっくりする。
蚤の市で見つけた、叶わなかった夢の綺麗さに、びっくりする。



友達のゆかちゃんは将来はこんな仕事をしたかったが、親は認めてくれなかった。
とよくぼやく。



確かに自分の夢を親に支援してほしいとは思う。
金銭的にとかじゃなく、共感して、気持ちの上で支えて欲しいと思う。



でも、彼女はもう26歳だ。
高校や学生時代に駄目と言われて断念して、望みもしない仕事を不服満々で続けて、まぁ大変なのだ。


夢が叶わなかったのは、親が反対したからではなく、親に反対されたことに対して対抗しなかったからじゃないかと思う。




親は夢を叶える障害かもしれないが、大した障壁ではなくむしろ第一関門でしかない。



ネイリストになりたいというが学費を貯めてきた訳ではない。
人脈も築いていない。




大きな夢に立ち向かうことで、うしなうものは多いだろう。

夢を諦めて、嫌々生きていてもうしなうことは常に続く。

親を説得できなかったのも、お金を貯めて自力でがんばらなかったのも、少し人よりストレスに弱くて浪費家なのも、彼女は自分で責任を負わないといけない。


同様に夢を叶えるために支援する親にも責任があり、夢を諦めされた親にも責任がある。



そして、彼女が夢半ばに生きていることを語る時、叶わなかった夢の綺麗さに呑まれて、そうだねそうだねと、生返事をしている私にも私の責任がある。




何もして来なかった。
悪いことをしたわけじゃない。
何かを得ようとして他人を蹴落としたり、何かになろうとして誰かを切り捨てたり、犠牲の元に幸福を描く人に対して、何も身につけず向上せずひとりぼっちで気ままに生きてきたツケを払わないといけない。
それがひしひしと感じられ、私は30代を迎えるのが怖いのだ。



失うものは何もないのに、得られる可能性もやはり同様になく、努力しなかった時間の長さも罪に問われるようで本当にすくむ思いだ。



どうにかなるんだろうか。
ゆかちゃんも私も。
posted by nainai at 02:31| 奈良 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | ないない論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月08日

生き返らせるなら誰か





こんにちは。
いかがお過ごしでしょうか?



たら、ればで、喋る人間は嫌い。
のに、のにいう奴は嫌い。


という人がいる。
全くおっしゃる通りではあるが、私自身、あの時こうしてたら、ああすれば、と口癖のようにぼやき、さらにタチが悪く、頑張ったのに、我慢したのに、と嘆く。



あーだーこーだー言うのが、性分に合う。


だからなのかは、知らないがもしもの、話をするのが好きだ。




もしも1つだけ願いが叶うなら。
もし、自分の命と引き換えに誰かを助けるなら。


みたいな?



もし、誰か1人を生き返らせるなら、しかも自分の知り合い以外なら、ミヒャエルエンデがいいな。



ベットの中でぼんやり思った。
エンデは、モモの世界のように壊滅的に日本文化を喪失していく日本を見て、なんて言うんだろう。
無個性化した東の島国に興味を示してくれるだろうか。もしかしたら、さらなる創作意欲が湧くかも。






まぁ身内で生き返らせるなら、最近死んだチロがいいな。
posted by nainai at 09:38| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ないない論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月18日

Twitterはじめました!



流行りものには、乗り遅れる。
乗れてもグループに入れないのが常套。


Twitterはじめました!といっても、以前からやっていた。
社用でTwitter登録を強要されたからだ。
登録完了後、上司にメールにて完了報告せにゃならんのだから。


最近、職場のスタッフの人たちもTwitterを始めて、フォローしているうちに、業務連絡ばっかりだったTwitter画面が日常会話と世間話で埋れ出した。



画面を下から上にスクロールするだけで、みんなが休みにどこに行って、何を見つけたのか分かるし、それに対して小さなコメントし合うのを見るのが楽しい。




でも、これ、ほんと、一過性のものだなー私的には。。。
posted by nainai at 21:42| 奈良 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ないない論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月18日

一日一歩




一日一歩
三日で三歩

三歩歩いて二歩下がる



なら、最初の一日だけ行動して残り二日やすんでてよかったんじゃないのかな?


週休四日制希望。
月曜日出勤、火曜日水曜日公休日、木曜日出勤、金曜日土曜日公休日、日曜日出勤。



これならまだまだ働く!
日本の経済が潤うように買い物も行く!



posted by nainai at 10:10| 奈良 | Comment(0) | TrackBack(0) | ないない論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月08日

今日の二度寝夢




今日も二度寝。


遅刻する夢を見た。

仕事するはずが、遅刻確定の時間に目覚めて、欠勤しようと思うが、いい言い訳が見当たらず悶々とするという夢だ。



今まで、仕事に行きたくない時は、お医者さんに偽造診断書を作ってもらうことは出来ないだろうかと必死に考えていた。


身体がぴんぴん元気なのに、インフルエンザと書いていただきたい。
現実逃避が得意なのに、鬱病って判定していただきたい。



どうすりゃいいんだろう、体裁良く仕事を休む方法というものはないものだろうか?




先日、点滴バーということが流行っていると、テレビで見た。
二日酔いに効き目のある成分や肌にいいビタミンなどを直接点滴で補給するそうだ。


もし、幼少期に行った予防接種のようなことを多量に身体に注入させたらどうだろう?
抗体が対抗出来ないほどのインフルエンザのウィルスが体内に入り、潜伏期間も計算にいれた上で望むタイミングで発症し、望まないスケジュールを遺憾ながらお休みさせていただくことができるのではないのだろうか?


お金を支払ってウィルスを購入し、発症確認のために病院に行き、陽性反応が出ればこっちのものだ。
意気揚々と一週間インフルエンザ治療のために休む。だが、確かにその間は床に府したままになる。



ウィルスバーというのは、まぁ点滴バーの流れと力のベクトルは違うが、方法論は一緒なので、どうだろう?




これと同じような方法で、病気を予防するのではなく、敢えて病気の元を身体に取り込んで、自らの死期や死に様をセレクトできたらどうだろう?



私は健康そのものだが、その身体にゆっくりではあるが確実に身体を蝕む腫瘍や病原体を取り込ませて、およそ5年後には死ぬがその間、治療実験や死後の検体提供を条件に生活保障が受けれるならどうだろうか?




不謹慎極まりない発言だが、能力も低く養ってもらえる相手もいない、親の面倒を見る余裕も自分の老後のために蓄える余裕もない人ならば、5年後に死ぬがその間少なからず社会に役立つし生活にも困らないという条件ならば、婚活以上に投資価値があると思わないだろうか?








こんなビジネスあってもおかしくないと思うんだけど、どうでしょうね。
posted by nainai at 21:24| 奈良 ☔| Comment(3) | TrackBack(0) | ないない論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月12日

読書感想文が苦手な私による私のための感想文


 
 
 
 
 こんにちは。
 いかがお過ごしでしょうか??




 久々にパソコンから更新をしています。
 しかも、ノートパソコン。


 彼氏と二人暮しなのに、やたら電子機器が多い。

 デスクトップPC2台
 ノートPC1台
 iPad、iPhone2台、その他携帯電話4台



 必要性がないが、あると意外に便利で使い分けて楽しめるし、手放すのはちょっと、となる。

 人間は自らの生活水準を下げることを厭うものである。




 最近、アニメオタクな彼氏が私にやたらアニメを見せてくる。

 アニメの位置づけというのは非常に難しい。


 アニメは非常に低俗な娯楽でありながら、シリーズものなどのばあい多額のグッズをコレクションに走るなど、程度の低い浪費をさせられてりまう。さらにもっとはまれば、家族をはじめ友人などからも後ろ指をさされ、みんなと同じ水準で会話をしているつもりが、通常の会話についていけず度を越えた吃音が出てきたりする。さらには、職場では仮面を被って、日常会話レベルから他社との関わりを絶たなければ、侮蔑され、異端者扱いされるものだ、と私は思っていたので、アニメは見るまいと思っていた。



 
 マンガは読むのに、アニメは見ない人の変な持論だ。
 妄執に近いかもしれないね。




 もうひとつ、アニメをさけていた理由はある。マンガでは表現していても伝わりずらいのだが、明るく充実した日常の描写が、破天荒かつ楽観的で突き抜けた感じがして、胃の中が気持ち悪くなることが多々ある。
 空気感に馴染めなくて、楽しげなムードに押しつぶされるような、感じだった。





 1月ぐらいからこつこつ見ているのが、『コードギアス〜反逆のルルーシュ〜』というアニメ作品だった。


 格別面白いかと、言われると、答えるのが難しいけど、見ごたえはあった。
 
 
 
 主人公がどういった立場で、どのような世界観でなりたっていて、どういった対立構造があり、どのように話が進展するかを書けば、このブログを詠んだ人たちの中で一人や二人くらいは、じゃあ見てみようかと思ってくれるかもしれない。


 でも、それは私の解釈によるあらすじであり、感想ではない。
 今回の記事は感想をしたためたいと、一念発起して適当にタイトルを綴り、ここまでたどり着いたわけである。


 主人公のルルーシュは(以下、ルル)聡明ではあるが、欺瞞に満ちた社会に憤りを感じていた。
 もし、この主人公ルルが他者と信頼の元、協力し合い、お互いにとって利のある社会に作り変えていこうという視点に立ち、行動を起こしていたのなら、もっと早く(というか割りに早急に)背改変輪は実現していたのではないだろうか。


 主人公の父親の掲げる理想論と、母親の掲げる理想論は合致しており、お互いの夢の実現の為に、互いに相互協力しあいながら行動し(基本別行動)、夢が実現しようとするまさにそのときに、二人とも至福の笑みを浮かべるわけだが、人間のいい年した男女が、そんなことに情熱を掲げていることが実に腹立たしい。


 何故、イラつくのかわからないが、子供を生んだなら、そして育てるだけの経済的余力があるのならば、「お前たちが立派な大人になってくれればそれでいい」ぐらいの、自分の両手いっぱい分の人間しか守れない、でもそれで父さんも母さんも十分なんだ、世界平和だとか大それた願いはないんだ、矮小ながらもあったかい(それは理念や主義、思想とはかけ離れた願いや希望程度の小ささの)感情だけ持っていればいいんじゃないかと思う。



 それにしても、聡明かつ顔立ちのきれいな少年は、登場する主力女性キャラをほぼほぼ虜にするわけだが、これといって、恋愛面では発展しない。
 ざっくりした定義だが、恋愛をメインにしていない物語で、主人公との恋愛に発展しかけたらほぼ死亡フラグ、もしくは、不幸予備軍になるようだ。

 

 

 ギアスの使い方も、もう少し捻った使い方があれば、こっちも考えされてもらえるのだが、そういうのがなくて、がっかりした。


 敵の能力が、対象の人間を磁石化する能力だったとして、街中を走り回り、敵に翻弄されていながら、徐々に形勢を逆転させ、敵の能力そのものを用いて、逆転勝ちする・・・といったような、それは考え付かなかったな・・・って、うならせてほしかった。



 統一性もなく、定義もあいまいで、もう少し、ギアスというものを作りこんでほしかった。



 
 あと、ニーナの、狂信的な態度はむかつく。
 画面を見続けることに限界を感じる。



 という感じの私の感想文。



 なんか、違うな。


 小学校のときの感想文と、もう、根底のレベルで違う。

 
posted by nainai at 23:33| 奈良 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | ないない論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月22日

思いやりの心のある人




私の実家は、田舎だが、特急が止まる。



まわりにコンビニもないし、駅前の商店街は寂れているし、何もないけど、特急が止まるよ、と言える。


というわけで、人は住んでいるが商業施設はさっぱりない。
しかし、交通の便はさほど悪くない。


そんなとこだ。




秋口になると、少し車を走らせて、農家の知り合いの家まで梨を買いに行く。
おじいちゃんが生きていた頃からずっとその農家で買っているらしい。
私もこれを継ぐのかと、思うが、私が最近の人間だからなのか、私という特質ゆえなのか、親の代からの人間関係は引き継げない気がする。



農家の知り合い家までの道途中。
知的障害のある子供達の施設があった。

きれいなレンガ造りの門戸がおしゃれだ。


その隣はゴミ焼却施設だった。


あまり何も感じない私も流石に良くないのではと感じた。

母もそれに気付いたのか、まるで市民にとって嫌なものはまとめて目立たないところにペイ!ってしているみたいだ、と言った。


その通りなのでは、と思いながら、私が民意を代表するのもおかしいのでふんふんとうなづいた。



もしね、お母さんの子供が障害を持っていてこういった施設に通っていて、隣がゴミ焼却施設だなんてことだったら、お母さんは市に怒鳴り込みに言っていたよ、と母は言った。



優しいというのは、特定の誰かに優しいことで、裏を返せば、特定の誰か以外にはどこまでも残虐になれることだと、私はエデンという漫画の台詞を思い出した。



昨日読んだナルトにも、愛情を知ることは憎しみのリスクを背負うことに等しいとあった。






母親は、自分の子供は守るが、現状ゴミ焼却施設の隣に通っている立場の弱い子供を守るわけではないのだ。


母親は決して善人ではない。



私はそこにがっかりした。




しかし、母が実の子を慈しむように、障害を持つ子供の境遇を守るべく立ち上がり、市に申し立てをするような勇ましい人格者だったら、実の子として、特別扱いをされていないということに私はがっかりするに違いない。



じゃあ、どうすりゃ満足なのかと聞かれると、困ってしまう。



これに関して是か非かと言われると、答えに窮してしまう。




仕方のないことだと、思う。
posted by nainai at 14:14| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ないない論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月11日

不安について考察を続ける





お客様、こちらの機種はそのような仕様になっておりまして、設定を変えることは出来ないようになっております。



と、いうと、がっかりしたり、不服そうにしたりするものの、明確な回答でもあるので、一応納得して、お客様は帰られる。




私も明確な回答と、問題からの離脱を望んでいる。
どうして、私は不安になったり悲しくなったり、自分の不甲斐無さを嘆くのだろうか。
それは、自分自身が未熟であり、鍛錬が足りないからであるという回答は、この場合、あまり慰みにはならず、問題を抱えていくという状況維持をさせられることになる。




人は、何かを得ると次の何かを得たいと願う。
満たされてもさらに渇き、与えられてもさらに奪おうとする。
人の心は底が抜けた入れ物なのだろうか、注いでも注いでもそれでいいという日が来ない。
それとも、胃袋のように一定量入り、その養分を溶かして栄養にしているのだろうか。
幸福も、大量生産大量消費の時代なのだろうか。




私は不安を解消しても、さらに別の不安要素に呑まれてしまう。
これも、幸福を再生産し続ける、さらに減らしてしまう人と同じなのだろうか。



人の心の構造上、不安を半永久的に捏造していくように出来ているのだろうか。




そういった仕様になっておりまして、もしお客様ご自身この機能がおきに召さないのでしたら、お薬などを服用していただくことで、多少ではありますが、不安を感じることを緩和させたり、幸福感を比較的長期持続させることも可能です。
いかがなさいますか?



誰かに、そうだとはっきり言われたい。
そうすれば、私は心がざわついてもそんなものだと、大きく構えられる。
そうでなくても、少しだけ気が楽になるんじゃないかなと、思う。



posted by nainai at 22:19| 奈良 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | ないない論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月02日

不安





不安だと感じる時、圧迫されるように心臓がドキドキする。



また、大学時代の夢を見た。
社会人になって、サークルボックスにふらりと立ち寄って、廃部になっていることを知った。
ひどく残念で悲しいのに、私にはサークルを復活させる時間的、経済的余裕がない。
さらに、なくなってしまったことを侘しくは思うものの、なんの情感も湧いてこないつまらない人間だった。



不安だ。
なにが、と聞かれると、困る。





寂しいとか、悲しいとか、心細いとか、そういった感情に押し潰されたり呑まれないように、私は必死だ。


私を覚束なくさせるあんまり明るくない感情群。
それから必死で逃げ惑うことを命じて、社会生活を営むように仕向ける常識人的な思考。

その2人の追いかけっこのような日常を鳥瞰して、こんなはずじゃないと毒づく、役に立たない理想論。



私はどれなんだろう。
不安は私の一部なのだろうか。
まるで、私の上に乗った重石みたいだ。
働かないといけない、結婚して子供も育てないといけないと、常識人的な思考は私を両端から挟み込んで潰そうとする。
こうでありたいと願う気持ちは、さらに私を、私自身を卑下し、地面より低い地中に押し込んでいく。




随分と人の出来た先輩がいて、月収9万円程度の仕事を見つけて就職した。
もっともらえる仕事がいくらでもあるし、やりたいことを仕事にしなくてもいいんじゃないですか?と、私は素直に聞いた。
でも、こういうことしてないと俺じゃないと、先輩は言った。



私はこれをしていなきゃ自分じゃないと思うものがない。

不安に呑まれているのが私なのか、ズル休みをしながらも働くのが私なのか、不平不満ばかりのたまうのが私なのか。

そんなつまらないことを考えてしまう。




posted by nainai at 19:59| 奈良 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | ないない論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月30日

宙のボールを落とす行為




スティールボールランを読んでいる。20巻まで読んだ。



漫画が好きだ。
なのに、読む前の漫画と読んだあとの漫画とでは、読みたいと思わせる磁力がてんで違う。



スティールボールランの作中で、宙に浮いたボールをどちらに落とすか、という問い掛けがあった。

暫定的に決まりつつある状況下で、二者択一でどちらかを選ぶとしたら。
たとえば、陣痛を伴って病院に運び込まれた妊婦がいた。
どちらも助かる可能性はほぼないという悲惨極まりない容体。
ならば、子を助けるか。
それとも、また子供を産める可能性に期待し母を助けるか。
医師は選ばねばならない。



私なら母を助けるだろう。
子供1人、父親1人で残されて、母が死んだという重圧を2人で、背負えるだろうか?2人して羽虫の如く潰れるだろう。



さて、これが父親、母親、子供と三択の場合はどうだろうか。
父親を助けるだろう。
男は体力もあり、女に比べて労働力としての対価もある。
1人残されても、気力と根性で乗り切って新しい家庭を築くだろう。




宙に浮いたボール、この命題を、人の命とすれば答えは明白だ。
明白ではないと言う人が大多数だろうが、私には明白だ。


しかし、これが漫画となると、私は途端に初めて巣を飛び立つ燕のように、逡巡する。


昨日のことだ。
引っ越しをするし、漫画は捨てようと思った。


無為な日常や、発展性のない冒険話満載の、銀魂。
人が羨望するものを全部持っているのに、人とうまく向き合えないOLすみれちゃんのラブストーリー、君はペット。
やたらイケメンなのに残念な有様の青年を描いた、関根くんの恋。
陰惨な絵の中でやたらニカイドウの肌が白くて柔らかな感じがするのは、その色の対比のせいなのか、ドロヘドロ。
小野不由美さんの超大作が漫画になった、屍鬼。
ちょうど死のうと思ってた時期に見つけた、自殺島。



引っ越しを目前に控えて読み終わった漫画を一掃しようと、一冊一冊を手に取って、一冊一冊そのまま本棚に戻した。


何かを捨てて進む、人生には選択しないといけないことが多々ある。



宙に浮いたボールをはたいて落とすようにいずれかを選ぶとしたら。

ギャグ漫画も、シリアスな漫画も、愚直な暴力系漫画も、どれを選ぶことを出来ない。
そんなことはけして出来ない。



破綻しているかもしれない。
けれど、これが私の見い出した、私らしさなのだ。



私は、結局一冊も売りませんでした。

posted by nainai at 21:21| 奈良 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | ないない論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月22日

7つ目の話




ジョジョの第7部を読んでる。

スティールボールラン、が漫画のタイトルだ。



ジョジョを読んでいて、人間讃歌という主題はそのとおりなんだと思う。



正義と悪がぶつかり合う。

不幸過ぎる過去を背負った人間がそれでも善良で、時に些細なきっかけで道を外す。


ディオのように、俺の行く道は悪、みたいな。
もう悪いことしているとか、じゃなくて、ディオ=悪みたいな、なのに震えるほどの求心力。




軽薄さも、実直さも、勇気も、臆する心も、色んな心がぶつかり合って、色んな人と関わり合って生きる、それだけで人は何か新しいものを築いているんだと、思える。



posted by nainai at 09:46| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ないない論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月11日

いい歌、いい曲





この歌の、この歌詞が好き。



という、歌の好きは、本当にその歌のことが好きなんじゃないと思う。
のっけた言葉がいいだけ。






でも、それでいいと思う。

小説を読んで、ストーリー構成はともかく登場人物が好きで、いいと思う。


プロの写真家の、撮り方や光源の取り込み方じゃなくて、被写体の女の子がかわいいで、いいと思う。



文章を読んでいて、主張している内容はよくわからないが、文章の組み立て方が好きで、いいと思う。




好きな曲はわからんけど、好きな歌詞はいっぱいある邦楽リスナーの、小さな意見でした。



最近は、YUKIのランデブーが好き。

泣き虫ジュリエット 小さな胸を焦がした



弱虫ロミオよ さらってくれるの?



かわいくて、なんか鼻の奥がツーンとなる(笑)







posted by nainai at 15:13| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ないない論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月22日

挨拶の難しさ




今、思い返しても非常におかしな話だと思うのだが、私は挨拶が出来ない子だった。

おはよぅ、おはよー、おーすと、高校の下駄箱前で挨拶が飛び交う中、私だけ緊張していた。
挨拶しないと、挨拶をしないと。
声は上ずらないようにかといって、低いと感じが悪いから、明るく、でも明るすぎたらキャラと違うし笑われてしまう。
絶対、しくじらず、誰が聞いても不快に感じないように、タイミングを見計らって、さぁ今だと、私はすれ違いざまに挨拶をした。
結局、掠れた声がからから喉をとおり抜けただけだった。
同じクラスの女子2人は会話に夢中で、私の声は疎か存在も届いていなかった。


大学時代は誰にも挨拶しなくて良かった。
助かったと、思った。

仕事を初めてから、声が小さくて、初対面の人と挨拶をしたり、声をかけたりするのに、苦労した。


慣れたと思う瞬間はなかったが、ようやくスタッフ20人のこの店で、挨拶に慣れたと、思った。



結局、声を出すのも、挨拶も、笑顔を振舞うのも、やらないと出来ないんだな。

何回も、何十回も、何年も続けて、出来るんだと思う。


もともと出来てる人は、たぶん、出来ない人より前にいっぱい鍛えられた人なんだと思う。



もとい、思いたい。



さうであれば、いいのに。
posted by nainai at 22:21| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ないない論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月13日

キュンとなるテクニック


売り場が狭い、血管が切れそうだ。


悪意すら感じる、いやあの構造は悪意によって総演出された舞台なんだと、確信を持って言える。


売り場はほんとは狭くない、広くて快適だ。
でも、販売員はカウンター内や作業場も含めて、売り場と言うものだ。


カウンター内はいつでも阿鼻叫喚。
狭くて狭くて何も出来ない。


畳一畳程度の面積のバックヤードにメタルラックが3つ、真ん中に椅子が二つでもう足の踏み場もない。
契約書類をしまいにくるひと、バックヤードで売上実績の入力する人、クレームの電話を処理する人、お客さんに見せるための実機を取りに来る人それぞれ別の要件でバックヤードに集まり、パンク状態で並んで前の人の作業が終わるのを待つ。
バックヤードに入る人と出る人で押し合いへしあい、性別などおかまいなしで、体がべったり密着してすれ違う。



狭いのだ。
苛つく。


レジ周辺もせまい。
レジカウンターに続いて契約カウンターがあるのだが、契約カウンターと後ろの在庫ストックのゲージとの距離が1mない。
契約カウンターでスタッフが対応していて、その向こう側のゲームをあけにいくというのは至難の技だ。
わかるだろうか?
電車の中で窓側の席に乗ったものの、通路側に座っている人の膝頭に注意しながら通るような状態だ。
その距離感で通り抜けて、ゲージをあけて、必要なものを漁る。
戻ろうとして、レジを見ると、レジ処理待ちのスタッフが三人いたりするともうレジ横を通ることが出来ない。


こんな状態で、スタッフの作業場所全てが極限まで狭められている空間でなければ数秒で終わることをところどころ満員電車のような人口密度ゆえに頓挫させられる。


私はレジ横でぶち切れ寸前だった。
すると、レジ処理待ちで立っていたスタッフの男の子が笑顔で持っていたケータイのストラップを私の腕に当ててきた。
「えぃえい笑」というテンション。

もふもふした毛玉のストラップだったのだが、お前とそんな仲良くないしなという気持ちと、お客さんのストラップだよね笑というツッコミで、殺意に飲まれていた筈の私は一気に和んだ。


きゅんとなった。
そして、くそこいつかわいいなーこのやろー!と思いながら、面白いコメントも思い付かずそそくさとその場を去っていった。


私もこんなきゅんテク、やりたい。
学校でどうして、こんなの教えてくれないんだ。



もう一個きゅんとなったのが、これ。

「おー、お疲れぇ」
「あー、小木さん」
「今、出勤??」
「そーですね」
「うち、11時出勤で今からお昼休憩いってくるー」
「えー、やだぁ行かないで! あたしを置いて行かないでぇ!」

なんでやねんといいながら、あまりの可愛さに、結構気がきついし苦手と思っていたのに瞬間に大好きになった私の薄っぺらさ・・・。



とりあえずおもろいことを言う意識の高さに脱帽する。
みんなすごい。
posted by nainai at 22:17| 奈良 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ないない論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。